2006年10月01日
5年
※注)mixiにも同じこと書いています。
今日で、ついに5年です。
私の中に育っていた、グレープフルーツ大の卵巣ガンをとってから、今日で5年。
ガンには5年生存率というのがあって、再発なく、5年経っても生きていれば治ったというようにいわれています。最近のガン保険じゃなければ、保険にも入れます。私の場合は、入院していたのが年末までなので来年にならないと、これはムリですけど。
卵巣ガンは自覚症状があまりなく、早期発見が難しいガンのひとつです。自覚症状が現れたときにはすでに手遅れである場合が多いようです。
幸い私はIc期の発見でしたので5年生存率は90%。30代に限ると70〜80%。
ステージII以降になると手術では完全にとることができないことがおおく、III期をすぎると生存率はぐっと下がって20%代になります。
ガンがわかったとき、坊主は7ヶ月。その坊主も来年は小学生、不妊に悩んだ時期もありましたが、二人目も授かって今週で2歳。
ここまでこれたのはみんなの応援があったからだと思っています。特にオットには大感謝。早期発見ができたのは亡き母からの知らせだと今でも信じています。
生きる幸せを与えてくれた関係者に感謝しつつ、たっぷり長生きしていこうと思っています。
皆さん、これからもよろしくね。
2005年08月26日
闘病中の日記
闘病日記及び、その後の日記をアップしました。
ほとんど当時のままです。久しぶりに読んだら、私っていろいろ頑張ってたんだーと自分を褒めたくなりました。
今年の10/1で丸4年、来年は待ちに待った5年目を無事に迎える予定。5年無事に終わったらご褒美に海外でも行こうと思っています。
投稿者 chaco : 15:11
2002年06月16日
6/16 訃報
朝起きて、いつものようにメールチェックをしたら「訃報」というメールが来た。何だ?と思ってみたら、入院中に仲良くなったHさんのご主人からでした。前に一度メールを出してみたのですが、返事を書く元気がないと言うご主人からのお返事が来たので、気になりつつもそのままになっていました。梅雨が明けたら今度こそ会いに行こうなんて思っていたのに。15日、午後0時55分だったそうです。葬儀は近親者のみということなので参列はできません。もう頭が真っ白になり、涙があふれてきました。とりあえず電報を打ちましたが、こんな時はどうすればいいのでしょう。確か大学生の息子さんと、高校生のお嬢さんがいたはずです。まだまだ母が必要になることがあるでしょう。私も未だに母を亡くした悲しみはいえないままなので、余計つらくなります。母も、そして彼女も「ガン」という病気で逝ってしまいました。彼女は私にとって、入院中の支えだったのです。母のような存在でした。退院したら、一緒にあれもしよう、これもしようととたくさん話し合ったのに。何で、何で逝ってしまったのでしょう。
悲しみに加えて、私もいつかそうなるかもしれないという不安で押しつぶされそうです。
彼女のご冥福を心からお祈りいたします。
投稿者 chaco : 15:09
2002年06月13日
6/13
久しぶりの診察。帽子をかぶらずに行ったけど、何も言われなかったよ。つまんないの。
先生は阪神が好調なのでキティちゃんのタイガースバージョンのペンなんて新しい物を入手していた。(笑)
定期検診ということで内診して、採血してきた。もちろん、何もなし。今度は7/25。特に何もない限り、こんなことばかりを書いてもあまり楽しくないので、今回を持ってここの日記は終わりにします。再発せず5年がすぎたとき、またそのときの気分でも綴りましょう。考えたくないけど、再発したらまた復活させます。
投稿者 chaco : 15:08
2002年04月25日
4/25
先月の検査結果は肝機能も含めて全部OK、問題なしでした。
先月末でたくさん先生が辞めてしまったらしく、知ってる先生の名前は常勤では二人だけしかいなかった。なんか寂しい感じ。診察は特に問題なしですぐに終わったので野球談義。先生は虎吉なので今はいい気分でしょうと言ってみた。でも、もう射程圏内だからすぐに追い越すよとも言っておいたけど。(笑)大の虎吉なのですでに3回も観戦に行ったらしい。さすが。んで、バレンタインの返しにって、袋を渡された。なんと96年のG優勝記念テレホンカード。笑っちゃいました。何でこんなのもっているんだろうか?
結果を聞くだけの診察は230円で終わり、来月はオペがあるそうで次回は6/13となりました。
投稿者 chaco : 15:08
2002年03月26日
3/26
今日はホントにすいていたよ。ラッキー♪先生が辞めるのはやっぱり開業なんだって。親がやっているところを手伝う形みたい。
この間の診察のあと15日に午前中にぴりっと痛みがあり、午後にちょっとだけ出血。20日には出血はないものの、かなりの痛みがあったのでちょっとは心配だった。でも内診の結果はなんともなし。帰る前に採血をしたので何かあればそれに引っ掛かるでしょう。
次回の出産に関しては、普通分娩はもう無理なのか聞いてみたところ、10月の手術は卵巣だけで子宮は切ってないけど、一度帝王切開しているのでそこが弱くなっているのは確か。帝王切開の理由も坊主がおりてこなかったからだし、その時の病院によるらしいです。ここの病院は一度切ったら次回も切るらしい。先生の病院はお産はしないんだって。残念。坊主を産んだところは一度目が帝王切開でも普通分娩にトライさせてくれるはずなので、またその時に考えたいと思います。命の誕生の現場にパパを立ち会わせたいし、もしできることなら坊主にも立ち会わせてみたいから。でもまだ夏過ぎないと妊娠は無理だけどね。もし、経済的に許すならたっくさん産んで、私の遺伝子たくさん残したいから。(笑)
投稿者 chaco : 15:08
2002年03月05日
3/5
すごく空いていたので今日はラッキーと思ったら、私の担当の先生だけものすごく混んでいるとのこと。なんでよ。2時間も待たされたよ。でも2階に行けたし、ま、いっか。お仲間が退院していたのはちょっとうれしくもあり、残念でもありました。
実は、今日は生理2日目でちょっと辛かった。坊主も昨日から鼻たれでなんだか熱っぽい。これで検査に何か問題があったら・・・しかし心配ご無用。前回の検査の結果は何もなし。「順調です」って。妊婦健診みたいじゃんと思った。(笑)
しかし、2日目なのに内診されたのはかなりイヤだった。そういうときもちゃんと診たいんだろうけど、2日目なんて。運がいいのか悪いのか。イヤともいえないので仕方なく内診台へ。坊主は動き回ると困るので、今日はおなかの上に抱っこして診察。でもじっとしていないので診察されながらも飛行機ビューンとかやっていました。おかげで診察はあまり気になりませんでした。
なんと先生、今月いっぱいで辞めちゃうんだって。えええ〜と思ったけど、木曜日だけは診察に来るらしい。とりあえずよかった。それと、前回聞きそびれた次の妊娠はいつからならいいのかって聞いてみました。やっぱり5年かなぁ〜なんて思っていたのに、半年あければいいんですと。なんだ、よかった。それもこの次また相談しましょうって言ってくれた。
また次回採血するけど、順調という言葉に甘えず健康維持に気を使っていきたいです。サプリメントオタクになりつつある我が家です。オタクだろうと健康な方がいいモンね。
投稿者 chaco : 15:07
2002年02月12日
2/12
連休明けだから混むのは間違いなし。だから早起きして出かけたのに忘れ物があって戻り5分の損。結果を先に言えばこんな5分は関係ないほど混んでいましてお昼過ぎまでかかりました。あまりに疲れて今日は2階(乳マッサージ)へはいけませんでした。次回は3/5なのでそのときでもいいでしょう。
今日はまたエコーで残っている方の卵巣の具合を診て、子宮癌検診もしてきました。あとはいつも通り採血。エコーの時、坊主も一緒に入ったんだけど、鍵で遊んでいるから大丈夫かと思って放置。そしたら内診中にカーテンの方に来ちゃって、内診されながら上半身をちょっとだけ起こし、手を出して頭を押さえて前進できないようにするという技をやらなくてはなりませんでした。でも、機械とかいたずらされずにすんでよかったぁ。(^。^;)ホッ。
そして季節柄ということで先生にプレゼント。今年1番だって。まだ2日早いからね。実はこれが忘れ物。たくさんもらうでしょうけどというと、年とともに数が減ってるとのこと。初めの頃はむっつり無愛想な先生だと思っていたのに、こんな話まで出きるようになるなんて仲良くなったもんだわ。帰りに看護婦さんと話をしていて「じゃぁまたね」なんていわれちゃうし。(笑)
体毛チームは着々と生えてきています。最近うれしかったことはシャンプーが泡立つようになってきたことでございます。(爆)
投稿者 chaco : 15:07
2002年01月22日
1/22
風邪でぶっ倒れたり、終わったばかりなのに生理が来たりとかだったのでちょっぴり心配を抱えた2週間ぶりの外来です。
今日は断乳のその後も助産婦さんに診てもらいました。断乳してからもう3ヶ月も経つのにいまだ絞ると出る私の乳。外見はいったいあのFカップはどこへ消えてしまったのか?というほどすっかりしぼんで垂れて(T^T)しまっているのに、まだ機能だけは細々と続けている。また一ヶ月様子を見ましょうと言うことで落着。
2階(産婦人科病棟、おっぱいマッサージは2階なのです)へ上がったついでに、まだ入院しているHさんの病室にちょっと顔を出しました。もう髪が伸びてきていてうらやましかったぁ。お正月に高熱で大変だったみたいだったけど、元気そうでよかった。あんまり話ができなかったけど、がんばって欲しいです。
さて、診察。いつもなら先に採血をするのに今日はないらしい。???まさかこの間の結果がよくなかったのでは?なんて不安がちょっとよぎる。でも、大丈夫でした。今日はエコーを診るんだって。坊主は看護婦さんにちょっと預けて久々内診台へ。これも問題なし。心配なので薬を飲んだりしなくていいのかと聞いてみた。そうしたら私の場合は悪いところはとれたし、化学療法も予防的なものだったので特に必要はないとのこと。はぁ〜よかった。やっとこれで安心。
髪の毛も、その他もほんのちょっとだけど産毛が出てき始めました。春の訪れとともに、私の体毛ちゃんたちにもにも春が来るかな?(笑)
投稿者 chaco : 15:06
2002年01月08日
1/8 白血球4800
年明け初の外来。年末から風邪をひき、咳が止まらず昨日は近所の内科で診てもらう。そこで、明日念のためレントゲンをなんて脅かされる。ドキドキしながら診察。喘息持ちかと聞かれたので「NO」、熱は出たの?と聞かれたのでこれもまた「NO」。そしたらんじゃ気にすることないって。(^。^;)ホッ
白血球も4800と落ち着いているので今度は2週間後とのこと。え?んじゃもう入院しなくてもいいの?と聞くと、検査で変なんいがひっかからなければしばらくはいいって。やったね!でも、検査で引っかかるということは再発を意味するんじゃなかろうか?そう思うとちょっと怖い。でもとりあえずそんなことは考えないようにする。今を維持しなくちゃ。快気祝いもしなくちゃだわ。
帰りに診断書をもらう。普通は封筒に入れて封をしてくれるものだがそのまま読めるようにぺらっとくれた。それを読むと産後の一ヶ月検診の時にすでに6〜7cmになっていたと書いてあるではないの。え?そんなこと聞いたっけ?そのときに検査しておけばよかったのではないの?なんていろいろ考えて仕方がないわね。私はよく卵巣が腫れていたし、産後はホルモン状態が一気に変わるからそれでということもあったのかもしれないし。
髪の毛も生えて来るってさ。私は髪の毛どころか体毛すべて抜けてきているのでかなりうれしい。眉毛はもちろん薄いし、坊主頭だし風呂上がりはかなり怖い。(笑)睫毛も抜けたよ。元々目にゴミが入りやすいのに風邪の強い日は大変。鼻毛!まで抜けているので、かなり鼻の通りはいい。これをいったら先生笑ってたよ。だから風邪もひいたのかな。変な話、下の毛だってないのだ。手足のむだ毛も少ないし、脇の下だって生えてこない。でも、これから春だし、ものすごい剛毛が生えて来ちゃったらどうしよう・・・。
投稿者 chaco : 15:05
2001年12月23日
12/23 楽しいクリスマス外泊
昨夜は遠足前の子供のように興奮して眠れず、朝は5時に目が覚めるというはしゃぎよう。(笑)でも2度寝。
7時半頃また起きてさっさと着替えて朝食。もう待ち切れないので、自ら電車に乗り最寄り駅まで帰る。すごくいい天気。とても乾燥していて、エアコンききまくりの暑い部屋でのどを痛めたけど、この青い空と自家製梅干し茶で復活。病院で安静にしているのも大事だけど、堅いベットにまずい食事を我慢しているより、少々無理したって家に帰ってくる方が絶対治りも早いと思う。外泊中、浮かれずぎないようにして、25日に戻ってそのまま無事退院しなくては!
投稿者 chaco : 15:05
2001年12月22日
12/22 白血球4100
やっと峠を越えた感じ。朝食の後こみ上げて吐きそうになったけど、何とか我慢。昨日から一切薬を止めている。痛み止めは効かないみたいだし、強い薬なんて飲まない方が胃にはいいに決まってる(と私は思っている)。だって、ボルタレンは飲む痛み止めでは一番強いのだ。一緒に飲んでいる胃薬は超弱いものだし、ただでさえ抗ガン剤なんかで身体はビックリしているのだ。少しでも休ませてあげよう。寝てばかりもよくないと思うのでベットを起こしたりして復活へ向けてスタートです。
今朝の採血の結果、白血球の値はなんと4100!平常時で4000〜8000というからかなりすごいではないですか。これはマイタケ効果でしょうか?なので今回は白血球を上げる注射もなし。心置きなく明日からの外泊を楽しめます。早く帰って美味しいものが食べたいよぉ。
投稿者 chaco : 15:04
2001年12月21日
12/21
朝、吐き気がしたので早めに薬を飲むが、その後ひどい吐き気が襲ってきてトイレで吐く。でも何も食べていないので胃液のみ。
しかし、その胃液に茶色いものが混じっている。なんだろう?ナースコールをしようと思ったけどはっきり血液といわれるのが怖くて流してしまった。黙っていようと思ったけど、心配なので報告。今度吐いたら見せてねで終わってしまった。強い薬で胃がやられてしまったのだろうか。止血剤を飲んでいるのに出血も続いているし不安が山盛り。食欲もないし、つらい。今回は年末で忙しく、け。もほとんどお見舞いにこられないので、当然坊主にも入院の日以来会っていない。今回は6人部屋(前回までは3人部屋)なので特にお見舞い客が多く、自分にはこないのでよけい寂しい。寂しいし、辛いし、泣いてしまう。忙しい間を塗ってけ、が来てくれた。ちょっとは寂しさが紛れたけど、早く早く坊主に会いたい。まだひとりで歩いていません様に。
投稿者 chaco : 15:04
2001年12月20日
12/20
吐き気はあるものの何とか薬でクリア。それよりなぜかとってないはずの右卵巣あたりがひどく痛い。生理か、もしくは排卵期出血かと思っていたけどどうなんだろう。出血量は少なく、だらだら続く。ちょっと心配。内診して、止血剤と違う痛み止め(ボルタレン)出してもらうことになる。
内診の後はかなり激痛が襲ってきた。陣痛に近いくらいの痛みで久しぶりにひっひっふぅーなんてやって痛みを逃し、何とかすごした。強い痛み止めに変わっても痛みがなくなることはない。和らいではきたものの、持続しているので不安。強い痛み止めのせいか胃まで痛くなる。未だ出血は止まらず不安と痛みでなかなか眠れなかった。
投稿者 chaco : 15:04
2001年12月19日
12/19
朝は寝不足だったけど、副作用はなく元気でシャワーも浴びて廊下走って怒られるほどでした。たくさんの点滴で顔がむくみ、たった2日で3kg増。うわっ、おそろしい。でも、お昼を食べてから徐々に気持ちが悪くなり始め薬を飲み、また昼寝。
来てしまった、やはり。寝る前になって体も痛み始めてきた。副作用にはマイタケも勝てなかったらしい。明日の食事のメニューは嫌いでまずそうなものばかりだし、ちょうどいいか。(笑)
投稿者 chaco : 15:03
2001年12月18日
12/18 抗ガン剤投与
今回は点滴順調。チューブがいつもとは違うらしい。フィルタの部分が違うらしい。新しいんだって。
坊主の風邪引きの看病で寝不足だったのでタキソールの点滴中はほとんど寝てしまっていた。アルコールが入っているのでお酒に弱いと酔っぱらう人もいるらしい。私にはそんな心配は無用だけど。(爆)起きたら乾燥でかのどが痛い。
すぐ昼食。焼きそばだったけど、こんなにまずくどうやったら作れるのか不思議な位まずかった。(笑)
なんだか口の中が非常にまずい。何を口に入れてもその味は消えてしまい、なんともいえないまずさが残る。カルボプラチンの副作用らしい。点滴が終わったら治ってしまった。
その後、なんだかチョコレートがどうしても食べたくてばかすか食べたら、ものすごく眠くなって夕食までぐっすり。おなかいっぱいのままご飯も無理やり食べたのでなんだか気持ち悪くなってしまった。
その上、予定よりも10日以上早く生理がきてしまう。何も用意してこなかったのであたふた。幸い婦人科病棟なのでいろいろグッズがあるのでそれをもらう。
今回は健康食品(マイタケD-フラクションとか言うヤツ)に手を出し、免疫力アップをしているので明日以降の副作用がちょっと楽しみ。
投稿者 chaco : 15:03
2001年12月17日
12/17
最後の入院。自分では今回が最後と信じている。そうじゃないと辛い。そう信じてきたからこそ頑張れたのだから。
今回も特に問題なし。先生の緊急手術で開始は遅れるも10時過ぎには点滴開始。
針を刺すのは失敗されたけど、毎度のことだし、たいした痛みでもないし特に気にしてません。血管が細いので、入れるのが難しいみたい。それよりももれないことを祈ります。こっちのほうがはるかに長引くし、強い痛みだから。
前回治療ができなくなってしまったHさんは再度治療を試みるもアレルギーが出て断念。今度は違う病院での治療をするかもしれないとのこと。年は離れているけれど戦友みたいな感じ。是非ともがんばって欲しい。元気になったら一緒にやることをたくさん約束しているのだから。私もがんばらなきゃ。
投稿者 chaco : 15:02
2001年11月28日
11/28 順調に退院
すこぶる快調。朝、シャワーを浴び、地下の売店までアイスを買いにいく。
帰りは知らず知らずのうちに階段を駆け上がる。をを!やっぱり前のときより体力の回復が早いわなどと感心しつつ部屋で美味しいひと時。明日の採血も問題はないでしょう。里心がついちゃって早く帰りたいです。
投稿者 chaco : 15:02
2001年11月27日
11/27
珍しく先生が2回も来る。なんだか看護婦さんもよく来る。週末休みで人がいなかったからそう感じるのだろうか?
体調は好調。ご飯はまずくて食欲がわかないので、午前中にマックを買ってきてもらう。う〜ん、んまい。
今回もまた喉に口内炎ができているらしく、どうも違和感が抜けないので飴とうがいを交代にやる。気持ち悪いまでいかないけど
なんだか変な感じなんだよね。これ。
とりあえず、明日まで注射をしてあさっての朝採血。結果がお昼頃までにでるから、よければそのまま退院ということで予定をしてもらうことになった。はぁ、硬いベットと陰気な空気とは早くおさらばしたいよ。
投稿者 chaco : 15:01
2001年11月26日
11/26 白血球3100
昨日はテレビを見ていたけど眠くてたまらず、10時前に寝てしまった。何度か夜中に起きたけど、7時過ぎまでよく寝た。おかげでか今日は吐き気も痛みもなくなり、ご飯も食べられるようになりました。
私は健康のバロメータとして、ご飯が食べられるうちは大丈夫だと思っているのでもう大丈夫でしょう。
夕方先生がきて白血球が3100になっているので今回は早めに注射をって言われる。
3000をきっていないけど、前回も退院してからもまた下がっているので、悪くなってからよりはということで打つらしい。
副作用も前回よりはちょっと楽だったという話をしたら、薬がよく効いているのでちょっとだけ量を調整して減らしたそうだ。
普通は1回、2回とあまり来なくて3回目でどっと来るらしいのだが、私の場合は初めからよく効いているらしい。
これはいいことだわ。うん。いつものとおり、3日続けて注射をし、翌日に採血してよければ退院できるぞ。
投稿者 chaco : 15:01
2001年11月25日
11/25
昨日で点滴は終わり。前回と違って痛み、吐き気ともに一気に来ない分だらだらと続くので今日もなんとなくつらい。朝から薬のお世話になる。これが効かないと座薬なのでそれはちょっぴり恥ずかしくもあり、なんとか我慢。
しかし、相変わらず病院の食事はにおいだけで気分が悪くなる。お菓子と、みかんで何とか体力維持。今回は窓側のベットなので、気分転換にと窓を開けてみたり、リブちゃんの電源を入れてみたり。何かをしていると気がまぎれて少しはいいみたい。
前回同様、喉の奥に口内炎だろうけど、何かが引っかかっている感じで気持ち悪い。前回は退院間際にできたのに今回は早いな。
こんないい天気の連休に病院暮らしだなんて最悪。せめてもうちょっと気分がよくなればいいのに。
投稿者 chaco : 15:00
2001年11月24日
11/24
前回ほどではないものの体の節々は痛み、吐き気も強い。早めに吐き気止めの点滴をしてもらい何とか収まるが、午後には復活。
薬に頼る。痛みは何とか我慢できたが吐き気はかなりつらい。
前回の教訓もあっていろいろと食材を準備するもあまり食べられない。とにかくごろごろ寝ているだけで一日が終わる。
投稿者 chaco : 15:00
2001年11月23日
11/23
昨夜は脚が痛くてなかなか寝付けなかった。今朝からは腰が痛み始めた。なんとなくだるいものの吐き気というほどひどいものはない。まだ点滴しているからかな?前回の日記を読み返すと一番ひどいのは二日目だったので明日が正念場だろう。
でも前回はちゃんと食べられたのに今回は食欲が落ちてきている。ま、まずいってのもあるけどね。(笑)
投稿者 chaco : 15:00
2001年11月22日
11/22 抗ガン剤投与
昨夜、前回同室だったHさんと話をした。Hさんはワンクール終わった後の検査がよくなくて、薬が病巣でなく、いい細胞にばかり効いてしまい白血球はもちろん、赤血球、血小板、ヘモグロビン等が下がり他にも血栓ができたりで、その手術をしたりでかなり落ち込んでいた。血栓は場所が悪ければ命を落としかねなかったらしい。私よりも10歳以上も年上でお年頃のお子さんも二人いるお母さんだけど、いろいろ話をしてちょっと元気になってくれたみたい。
私だってものすごく不安だった時期もあったし、精神的におかしくなりそうな時期もあったと思う。でも私の場合はまだ坊主がチビなことが強い原動力になってがんばれているのだと思う。人生にも目標って大切だわ。
投稿者 chaco : 14:59
2001年11月21日
11/21
昨日から入院して退屈しっぱなし。まだ何もしていないから普通の元気な人だからね。前回の入院で同室だった子宮ガンのHさんに会うが他にいろいろと余病が出て治療ができないでいるらしい。私には特に問題はないので今夜から点滴が始まる。
何ともなかったはずなのに急に不安な気持ちになってくる。やっぱり怖いのかも。副作用がつらいのは3日くらいだろう。
それでもその間は自分がガンだということを思い知らされる。今は坊主頭であることにもなれているので、それを見ても病気を思い知らされるということはなくなりつつある。でも副作用はつらい。つらいと気持ちも弱くなる。だからかな。
今日は亡き母の誕生日だ。生きていれば61歳になるはずだ。亡くなった人の年を数えるのはよくないというが、これを忘れないことは生前できなかった母への親孝行だと思っている。
卵巣ガンは発見が遅れることが多く、進行した状態で他臓器への転移などから発見されることが多いという。私の腫瘍が早めに発見されたのは母が報せてくれたからだと思っている。まだこっちにきちゃいけないよという親心だと思う。今回来る前にお墓参りにいき、母にお礼とこれからのことをお願いしてきた。私も母なのだ。子を想う気持ちは変わらないであろうだからこそ、気持ちを強く持ってがんばらなくてはと思う。
投稿者 chaco : 14:59
2001年10月25日
10/25
白血球は無事3000を越えていたのでめでたく退院となりました。ただ、やっぱりまだ低いとのこと。とにかく風邪を引かないようにに注意されました。あとは無理しないで体力温存。子育ても手を抜いてと保育園まで勧められる。私が思っているよりかなりぐうたらしなくてはいけないらしい。とりあえずあと2回は確実なのでがんばらなきゃいかんですね。
投稿者 chaco : 14:58
2001年10月24日
10/24
明日の採血で白血球の値が3000を越えていれば退院、もし切っていたら外泊と言うことになりました。
扱いは明日退院の人だけどホントに退院できるのでしょうか。普通は最初は白血球あんまり下がらないんだって。術後すぐだったし、弱っていたのかしら?
夕方来た坊主には、明日はママが迎えに行くからこなくていいよと言っておいた。骨髄さん、よろしく頼むよ。
そうそう、笑うと抵抗力がアップするんだそうです。いっぱい笑わなきゃ。
投稿者 chaco : 14:58
2001年10月23日
10/23
ご飯も食べられるようになり、すっかり元気。昼間、うっかりかさぶたをひっかいてしまい、出血しあわてる。白血球が下がってるから血が止まらなかったらどうしよぉ〜なんて心配はいりませんでした。(笑)はぁ、よかったよかった。
投稿者 chaco : 14:57
2001年10月22日
10/22
今日は結構元気になってきた。病院の朝食も全部食べた。<かなりまずいし貧相
午前中に先生が「元気そうだから木曜あたりには退院していいよ。」って。きゃーうれし〜〜〜〜〜〜!!!最初の予定では金曜日には絶対帰りたいって言っていたから予定よりも早い。うふふ。
なんて思っていたらしばらくして難しい顔をしてまた先生が戻ってきて今朝の採血の結果、白血球が下がっていたので数値を上げる注射をしてよければ退院できるとのこと。だめならのびるって・・・。
骨髄を刺激する皮下注射でそんなに痛くはないけれど、腰や背中がピリピリする感じがする。骨髄、がんばってるんだぁなんて実感。がんばれ骨髄、予定通り帰るぞ!
投稿者 chaco : 14:57
2001年10月21日
10/21
昨日の続きで午前中はかなりグロッキー。昨夜遅くには調子こいておにぎりまで食べたがすべて吐く。吐き気止めの点滴がなくなったせいか朝からつわりのような症状におそわれ、飲み薬(ゾフラン)を処方してもらう。そのおかげで午後は持ち直す。
シャワーを浴びたらなんだか生き返った気がして、ずいぶん楽になった。ちょっとだけ、外にも出てみた。
夕方坊主が来て、ベットの上で高ばいを披露してくれる。ここ2・3日つかまり立ちをしたあとに手を離してしばらく立つとのこと。そういう成長は私が一番に見届けたかったのに、すごく残念。せめて歩くのは1番にみたいなぁ。
投稿者 chaco : 14:57
2001年10月20日
10/20 坊主8ヶ月
朝から痛みや吐き気、だるさに悩まされ続ける。おなかは空いているはずなのにどうも食べられない。そんな風だからどうも気が弱くなる。看護婦さんが来て足をさすってくれながらなぐさめてくれる。昔、熱が出てからだが痛いときに同じことをしてくれた母を思いだし、涙が止まらない。
こんなに辛い思いをしてホントに治るのだろうか?不安で不安でたまらない。
夕方、坊主が来る。なんだか元気になる。この子以上の薬はない。おかげで差し入れのサンドイッチを平らげる。今日、初めての食事。すごくおいしかった。痛くて、辛くて、苦しいけど、坊主のためにがんばらなくては。
投稿者 chaco : 14:56
2001年10月19日
10/19
腰がだるいのはなんと生理痛でした。卵巣を採ったからしばらくはこないのでは?と思っていたので確認しようと思っていたら、その前にきちゃいました。ちゃんと働いてるってことだよね。
でも、夜になって関節が痛み始めてきた。吐き気も多少あるけどご飯はがんばって食べている。食べる人の方が回復が早いって言うからね。昨日は寒かったので棒はこなくて1日ぶりに会った。たった1日だけど、なんだかたくましくなったような気がした。前にずりばいもできるようになったらしいし、早く帰って成長を見守りたいです。
投稿者 chaco : 14:56
2001年10月18日
10/18 抗ガン剤投与
朝から入れ替わり立ち代り点滴が追加される。朝食後HCU(術後観察室らしい)に移り、TVでよく見る心電図モニターやら自動血圧測定器などに囲まれる。左手の点滴の針を刺していたが、血管が細いのか全開にしてもぜんぜん落ちないので予定は大幅に遅れる。
仕方がないので右に差し換え、ついに抗がん剤の投与が始まる。脱毛を少しでも減らすため頭も冷やし、断乳準備で両脇にもアイスノン。あちこち冷やされて低体温に低血圧。すっかり冬眠状態である。(笑)
結局予定より2時間遅れで消灯後に今日の分の点滴終了。まだ。腰がだるい程度で特に具合は悪くない。さて、明日から副作用はどのように現れてくるのでしょうか。
投稿者 chaco : 14:55
2001年10月17日
10/17
昨日がんばって起きたけど、そんなに量搾れないし、起き損って感じ。
隣のベットのおばあちゃんが退院して別の部屋のこれまたおばあちゃんが移ってきたんだけど、かなりなれなれしいババでかなり困り気味。
予定通り、今夜から点滴。きょうのは何も薬は入っていなくて、体を慣らすためにするらしい。明日の朝食後から部屋も移りいよいよ抗がん剤の投与が始まります。どんな副作用が起きるのだろう。説明はいろいろ受けたけど、個々違うというし。
髪が抜けるのは覚悟ができているので、抜け始めたら中途半端は嫌なので坊主頭にするつもり。シガニーウィーバーみたい?明日から勝負だっ!
投稿者 chaco : 14:55
2001年10月16日
10/16 MRI
予定通りMR検査。よくドラマで見る感じを想像していたけれど実際は違った。私は筒みたいなのにスーっと入ってそれで終わりみたいなのを想像していたのだ。CTはそんな感じらしいがMRは検査前に耳栓を渡される。これも1回バンって音がする程度だと思っていたら大間違い。まさに工事現場のど真ん中にいるようなガンガンブーブー、かなり長い間音がなっていた。もちろん動いちゃいけないのだ。さすがに頭が痛くなってきて、気分も悪くなり、もうダメだと思ったらちょうど終わりだった。おなかも空いていたし、ふらふらして戻ってくる。
昨日の夜から乳も張り、岩のようになってしまった。助産婦さんたちが私の治療にあわせて断乳計画を立ててくれる。明日までは授乳していていいので、夕方来た坊主にさっぱり飲んでもらう。でも、週末までは3時間おきに起きて搾乳しなくちゃいけないんだって。泣き声もないのにおきられるか心配。
投稿者 chaco : 14:55
2001年10月15日
10/15 外泊終わり
週末の楽しいひと時も終わり、今日からまた病院へ逆戻り。これからのことを先生と話す。
明日は前からの予定通り、MR。それと採血するらしい。
26日が結婚記念日だからそれまでには帰りたいといったら17日から点滴を始めてくれるよう予定を組んでくれた。断乳もしなくてはならないので、一度につらいことになるかもしれない。それでも私は生きなくてはいけないのだ。
まだ坊主は7ヶ月、せめて成人するまでは生きた成長を見守りたい。これから、つらく長い闘いになるだろうけど、いろいろと応援してくれる人もいるし、何より愛する家族のためにがんばらなきゃ。
投稿者 chaco : 14:54
2001年10月12日
10/12 運命の日
一日中どきどきしっぱなしで、今にも心臓が口から飛び出してきそう。結果、予想通り悪性。
わかっていたはずなのに、覚悟していたはずだけどつらすぎる結果。精神的にぼろぼろなので、とりあえず外泊許可をもらい一時帰宅。なんで?どうして?私は死ぬの?そんなことばかりが頭を巡る。
がんばるしかないとわかっていても怖い、怖くて仕方がない。あとからあとから涙があふれてくる。
母が死んだときのことを思い出す。母も私と同じようにつらかったに違いない。誰か助けて、怖い。怖いよぉ。
※私の母は乳ガンが2年後に再発し肺に転移、平成9年10月31日にこの世を去っています。
投稿者 chaco : 14:53
2001年10月11日
10/11
明日で術後10日。お隣も今日で退院だし、私も期待いっぱい。しかし、うまくことは運ばなかった。
夕方先生がきて、明日検査結果が出るからご主人にきてもらって…と。それって…と私の今までに不安は爆発寸前。なんとか気を落ち着かせようと本を読む。
食事前に看護婦さんが様子を見に来てくれる。そのときについに我慢の糸が切れて涙があふれ、大泣きしてしまう。なぐさめてもらえばもらうほど、全部うそに聞こえ、涙は止まらない。一人にしてもらっても後から後から不安が押し寄せ、涙があふれてくる。食事も取れない。いつもどおり坊主がきて元気をもらうが、やっぱりこわい。一人ではいられない。脱走しようかと本気で考える。ないている私の顔を坊主が不思議そうに見つめる。でも、やっぱり一人になると不安。今夜は隣のベットにも誰もいないので本当に一人だ。さみしい。大丈夫、何ともなかったよといわれるかもしれないと自分を励ます。
でも…とどうしても悪いほうへ悪いほうへと考えがめぐる。こわい。こわい。一人でいたくない。本当に脱走しようかとまた考える。でもそんな勇気があれば怖くないはずだ。考えたって仕方がない。とにかく明日きちんと結果を聞くまで一人でがんばらなきゃ。
投稿者 chaco : 14:53
2001年10月10日
10/10
抜糸も終わり、体もかなり元通り。しかし、運動不足の毎日なので体操したり、1階まで降りてみたりと運動してみた。早くても帰れるのは週末らしい。あ〜早く帰りたい。
投稿者 chaco : 14:52
2001年10月09日
10/9
朝から先生が来るのが待ち遠しい。そういうときに限ってぜんぜんこない。
連休明けで混んでいるんだろうな。私がここへ紹介状を持ってはじめてきたのも連休明け。それもつい2週間前のこと。ホント急変だったなぁと振り返る。
結局3時過ぎに抜糸、シャワーの許可も出てさっぱり。夕方、いつものように坊主がきて帰り際に冷凍してある母乳をもらいにナースステーションに行くと担当の先生が。気づいた先生は出てきてくれて、「そっくりだなぁ」って。「もうちょっとだからね。」と坊主に言ってくれた。本当にあとちょっとで帰れますように。
投稿者 chaco : 14:52
2001年10月08日
10/8
体育の日。なんか10日じゃないのは変な感じ。さすがに義母も疲れているらしく、今日は車の中で寝ているとのこと。
久しぶりに家族3人、水入らずで過ごす。ちょっとうれしい。
け。も写っている写真を持ってきてもらう。明日は抜糸だし、今日は寂しいのはちょっと我慢できるかな?
投稿者 chaco : 14:51
2001年10月07日
10/7
今日は日曜。坊主と長くいられると思っていたのになかなかこない。待ちきれずに電話をするとうぃんとオンちゃんの交配をするので夕方になりそうだとのこと。ものすごく楽しみにしていたので怒って電話を切ってしまう。
でもわがまま聞いてくれて2時半ごろにつれてきてくれた。すごく嬉しい。ぢつは毎晩写真を見ては涙していたのでほんとに嬉しかった。
今日は2回授乳ができ、2回ともそのまま私の腕の中で寝てしまいました。坊主と離れているのはもちろんとても寂しいけれど、け。とも離れているのもすごく寂しいので夕方ちょっぴり甘えちゃいました。け。は「早く帰ってきてほしいけど、ちゃんと治してからでないと家には坊主だけでなくうぃんぷよもいるんだから」と諭されちゃいました。「また無理されて、倒れられたらもっとも困るんだからちゃんと治してから帰ってこい」って。ごもっともです。
でも、寂しすぎるとウサギが死んじゃうように私だって寂しすぎると治るものも治らないんだから。ほんとに早く帰りたいです。
投稿者 chaco : 14:51
2001年10月06日
10/6
今日は洗髪をしてもらう。すっきり、さっぱりいい感じ。朝、け。が来る。昨日のことを話し、かなり泣けてしまった。
でも彼の言う通り考えてばかりいたって仕方がない。早く治して帰りたい。もし、悪性との結果が出ても坊主のためにまだまだ生きなくてはいけないのだから。
投稿者 chaco : 14:50
2001年10月05日
10/5
いろいろつながれていたのもはずされたので昨夜は快眠。五分粥のご飯じゃ足りない!(笑)
夕方、入院してすぐにやるはずのカウンセリングを受ける。病巣の写真があったので見せてもらう。かなりグロい。
すでにつぶれたあとの写真だったけど、中身の詰まっているときはどんなに大きかったことだろう。
カルテにはっきりと「悪性の疑い」と書いてあった。ものすごく不安になる。病理の結果が気になって気になって眠れない。
坊主とも離れて寂しいし、不安だし、涙が止まらない。早く帰りたい。夜が怖い。寝よう寝ようとすればするほど目がさえる。暗い夜が終わって早く朝が来ればいいのに。
投稿者 chaco : 14:50
2001年10月04日
10/4
午前中にけ。が来てくれる。でも、坊主は義母に預けっぱなしなので会えなかった。こういうとき、実母が生きていればよかったのにと思う。人見知りで義母に慣れていなかった坊主は大丈夫だろうか? 毎日いっしょだったのにあえないととてもつらい。
朝食後にはバルーンもはずし、トイレへ自力歩行。昼食時には部屋からでて、お茶をとりに歩く。早く帰りたいのでがんばってリハビリ。
投稿者 chaco : 14:49
2001年10月03日
10/3
ものすごく乳が張る。術後で動けないので搾乳してもらうけど、熱を持ってかなり痛い。でも、先生から授乳の許可が出た。よかった。昨日は、ミルクは受け付けず、泣きどおしだったらしい。かなり心配。でも明日からは搾乳分を持って帰ってもらうことにした。
病巣はグレープフルーツくらいとかなり大きくなっていた。普通ならここまで大きいと動かないはずなのに半時計回りに二回転(720°)も茎捻転していた。二月に出産したときにチョコレート嚢種が疑われたので帝王切開になり、そのときに見てもらった異常はなかったはずなので、短期間でのかなりの成長。だから詳しく病理検査をするということ。このときはガンかもと疑いつつも、そうでないだろうという思いのほうが強かった。
面会時間も終わるころ、坊主が来る。やはりミルクは飲まないようでヨーグルトなどを混ぜ、だましだまし飲ませているらしい。三日ぶりの授乳ではジュージューと音を立ててごくごく飲む。他人に搾ってもらうより楽だし、すっきりする
投稿者 chaco : 14:49
2001年10月02日
10/2 緊急手術
午後一番に手術。手術前の注射で寝てしまい、気がついたときには手術台の上、でもすぐ麻酔で気を失い、その次はすでに病室でいろいろチューブでつながれていた。目覚めたときにけ。がいてくれなかったのがちょっと寂しかった。
投稿者 chaco : 14:48
2001年10月01日
10/1 緊急入院
午後7時、坊主に離乳食をやっているうちに下腹部がチクチク痛んでくる。そのうち、痛みが強くなってきたけど我慢して添い寝で授乳。坊主も寝たころ、け。が帰ってきてくれて夕飯を作ってくれた。せっかくなので食べようとすると、治まってきた痛みが復活。ものすごい痛みが襲ってきて、まるで太い槍を腰から下腹部に 貫通させられているよう。
吐き気も襲ってきたのでもうだめと思って病院へ電話してもらい、救急車を待つ余裕などないのでそのまま大雨の中、来たばかりの新車で突っ走る。
過換気症候群も手伝ってかなりフラフラ。何度も気を失いそうになる。何とか診察してもらい、翌日すぐに手術と決まる。
夜中も痛みで何度も何度も目が覚め、注射をしてもらう。こんな最中でも廊下で叫び泣く坊主のことが気になって仕方がない。
もうろうとする意識の中で看護婦さんに母乳のみで育ててきたので飲まないかもしれないけどミルクを作ってあげてほしいととにかく頼む。
投稿者 chaco : 14:47
病状
病状
右卵巣腫瘍 ステージはIc期
2001. 9.23 | 朝、下腹部痛で目覚める。その日に出産した婦人科で受診。 即、紹介状を書かれ転院。 |
2001. 9.25 | 大学病院にて受診。卵巣チョコレート嚢種の疑いありと診断。16日にMR予約。 |
2001.10.1 | 茎捻転による激しい痛みで緊急入院、翌日右卵巣摘出手術(うち10.12〜10.15の3泊4日は外泊) |
2001.10.12〜10.25 | 病理検査の結果、悪性と診断され、術後引き続き化学療法開始。 |
2001.11.20〜11.29 | 化学療法2回目のため入院 |
2001.12.17〜12.25 | 化学療法3回目のため入院(うち12.23〜12.25の2泊3日は外泊) |
治療方法
タキソール270mg(初回のみ、あと2回は260mg)
カルボプラチン550mgを静脈投与1日
(現在1クール(3回)終了、検査待ち)
副作用
脱毛、吐き気、関節痛、口内炎、白血球の低下等 毎回ちょっとずつ違いました。
これに対して処方された薬
ロキソニン(痛み止め)、ツムラシャクヤクカンゾウトウ(関節痛)、マーズレン(胃薬)、
ゾフラン(吐き気止め)、ベナ錠(アレルギー止め)、ボルタレン(痛み止め) 以上、飲み薬
カイトリル(吐き気止め) 静脈投与
投稿者 chaco : 14:36
何でこのカテゴリを作ったかというと
私は2001年10月に右卵巣腫瘍を摘出しています。IC期でした。
卵巣のガンって見つかったときにはもう手遅れということも多く、体験談が少ないからなのでしょう。結構この記事関係は今でも訪問者が多いです。なのでblogにしても残しておけば、検索に引っかかりやすくもなるので、同じ病の人に役に立つかなと思って作りました。
基本的に更新はないです。過去の記事を一気に移すだけとなると思います。
ちなみに現在、術後3年を経過していますが、再発の気配はありません。
前のサイトはこちら
投稿者 chaco : 13:50