2001年10月25日
10/25
白血球は無事3000を越えていたのでめでたく退院となりました。ただ、やっぱりまだ低いとのこと。とにかく風邪を引かないようにに注意されました。あとは無理しないで体力温存。子育ても手を抜いてと保育園まで勧められる。私が思っているよりかなりぐうたらしなくてはいけないらしい。とりあえずあと2回は確実なのでがんばらなきゃいかんですね。
2001年10月24日
10/24
明日の採血で白血球の値が3000を越えていれば退院、もし切っていたら外泊と言うことになりました。
扱いは明日退院の人だけどホントに退院できるのでしょうか。普通は最初は白血球あんまり下がらないんだって。術後すぐだったし、弱っていたのかしら?
夕方来た坊主には、明日はママが迎えに行くからこなくていいよと言っておいた。骨髄さん、よろしく頼むよ。
そうそう、笑うと抵抗力がアップするんだそうです。いっぱい笑わなきゃ。
2001年10月23日
10/23
ご飯も食べられるようになり、すっかり元気。昼間、うっかりかさぶたをひっかいてしまい、出血しあわてる。白血球が下がってるから血が止まらなかったらどうしよぉ〜なんて心配はいりませんでした。(笑)はぁ、よかったよかった。
2001年10月22日
10/22
今日は結構元気になってきた。病院の朝食も全部食べた。<かなりまずいし貧相
午前中に先生が「元気そうだから木曜あたりには退院していいよ。」って。きゃーうれし〜〜〜〜〜〜!!!最初の予定では金曜日には絶対帰りたいって言っていたから予定よりも早い。うふふ。
なんて思っていたらしばらくして難しい顔をしてまた先生が戻ってきて今朝の採血の結果、白血球が下がっていたので数値を上げる注射をしてよければ退院できるとのこと。だめならのびるって・・・。
骨髄を刺激する皮下注射でそんなに痛くはないけれど、腰や背中がピリピリする感じがする。骨髄、がんばってるんだぁなんて実感。がんばれ骨髄、予定通り帰るぞ!
2001年10月21日
10/21
昨日の続きで午前中はかなりグロッキー。昨夜遅くには調子こいておにぎりまで食べたがすべて吐く。吐き気止めの点滴がなくなったせいか朝からつわりのような症状におそわれ、飲み薬(ゾフラン)を処方してもらう。そのおかげで午後は持ち直す。
シャワーを浴びたらなんだか生き返った気がして、ずいぶん楽になった。ちょっとだけ、外にも出てみた。
夕方坊主が来て、ベットの上で高ばいを披露してくれる。ここ2・3日つかまり立ちをしたあとに手を離してしばらく立つとのこと。そういう成長は私が一番に見届けたかったのに、すごく残念。せめて歩くのは1番にみたいなぁ。
2001年10月20日
10/20 坊主8ヶ月
朝から痛みや吐き気、だるさに悩まされ続ける。おなかは空いているはずなのにどうも食べられない。そんな風だからどうも気が弱くなる。看護婦さんが来て足をさすってくれながらなぐさめてくれる。昔、熱が出てからだが痛いときに同じことをしてくれた母を思いだし、涙が止まらない。
こんなに辛い思いをしてホントに治るのだろうか?不安で不安でたまらない。
夕方、坊主が来る。なんだか元気になる。この子以上の薬はない。おかげで差し入れのサンドイッチを平らげる。今日、初めての食事。すごくおいしかった。痛くて、辛くて、苦しいけど、坊主のためにがんばらなくては。
2001年10月19日
10/19
腰がだるいのはなんと生理痛でした。卵巣を採ったからしばらくはこないのでは?と思っていたので確認しようと思っていたら、その前にきちゃいました。ちゃんと働いてるってことだよね。
でも、夜になって関節が痛み始めてきた。吐き気も多少あるけどご飯はがんばって食べている。食べる人の方が回復が早いって言うからね。昨日は寒かったので棒はこなくて1日ぶりに会った。たった1日だけど、なんだかたくましくなったような気がした。前にずりばいもできるようになったらしいし、早く帰って成長を見守りたいです。
2001年10月18日
10/18 抗ガン剤投与
朝から入れ替わり立ち代り点滴が追加される。朝食後HCU(術後観察室らしい)に移り、TVでよく見る心電図モニターやら自動血圧測定器などに囲まれる。左手の点滴の針を刺していたが、血管が細いのか全開にしてもぜんぜん落ちないので予定は大幅に遅れる。
仕方がないので右に差し換え、ついに抗がん剤の投与が始まる。脱毛を少しでも減らすため頭も冷やし、断乳準備で両脇にもアイスノン。あちこち冷やされて低体温に低血圧。すっかり冬眠状態である。(笑)
結局予定より2時間遅れで消灯後に今日の分の点滴終了。まだ。腰がだるい程度で特に具合は悪くない。さて、明日から副作用はどのように現れてくるのでしょうか。
2001年10月17日
10/17
昨日がんばって起きたけど、そんなに量搾れないし、起き損って感じ。
隣のベットのおばあちゃんが退院して別の部屋のこれまたおばあちゃんが移ってきたんだけど、かなりなれなれしいババでかなり困り気味。
予定通り、今夜から点滴。きょうのは何も薬は入っていなくて、体を慣らすためにするらしい。明日の朝食後から部屋も移りいよいよ抗がん剤の投与が始まります。どんな副作用が起きるのだろう。説明はいろいろ受けたけど、個々違うというし。
髪が抜けるのは覚悟ができているので、抜け始めたら中途半端は嫌なので坊主頭にするつもり。シガニーウィーバーみたい?明日から勝負だっ!
2001年10月16日
10/16 MRI
予定通りMR検査。よくドラマで見る感じを想像していたけれど実際は違った。私は筒みたいなのにスーっと入ってそれで終わりみたいなのを想像していたのだ。CTはそんな感じらしいがMRは検査前に耳栓を渡される。これも1回バンって音がする程度だと思っていたら大間違い。まさに工事現場のど真ん中にいるようなガンガンブーブー、かなり長い間音がなっていた。もちろん動いちゃいけないのだ。さすがに頭が痛くなってきて、気分も悪くなり、もうダメだと思ったらちょうど終わりだった。おなかも空いていたし、ふらふらして戻ってくる。
昨日の夜から乳も張り、岩のようになってしまった。助産婦さんたちが私の治療にあわせて断乳計画を立ててくれる。明日までは授乳していていいので、夕方来た坊主にさっぱり飲んでもらう。でも、週末までは3時間おきに起きて搾乳しなくちゃいけないんだって。泣き声もないのにおきられるか心配。
2001年10月15日
10/15 外泊終わり
週末の楽しいひと時も終わり、今日からまた病院へ逆戻り。これからのことを先生と話す。
明日は前からの予定通り、MR。それと採血するらしい。
26日が結婚記念日だからそれまでには帰りたいといったら17日から点滴を始めてくれるよう予定を組んでくれた。断乳もしなくてはならないので、一度につらいことになるかもしれない。それでも私は生きなくてはいけないのだ。
まだ坊主は7ヶ月、せめて成人するまでは生きた成長を見守りたい。これから、つらく長い闘いになるだろうけど、いろいろと応援してくれる人もいるし、何より愛する家族のためにがんばらなきゃ。
2001年10月12日
10/12 運命の日
一日中どきどきしっぱなしで、今にも心臓が口から飛び出してきそう。結果、予想通り悪性。
わかっていたはずなのに、覚悟していたはずだけどつらすぎる結果。精神的にぼろぼろなので、とりあえず外泊許可をもらい一時帰宅。なんで?どうして?私は死ぬの?そんなことばかりが頭を巡る。
がんばるしかないとわかっていても怖い、怖くて仕方がない。あとからあとから涙があふれてくる。
母が死んだときのことを思い出す。母も私と同じようにつらかったに違いない。誰か助けて、怖い。怖いよぉ。
※私の母は乳ガンが2年後に再発し肺に転移、平成9年10月31日にこの世を去っています。
2001年10月11日
10/11
明日で術後10日。お隣も今日で退院だし、私も期待いっぱい。しかし、うまくことは運ばなかった。
夕方先生がきて、明日検査結果が出るからご主人にきてもらって…と。それって…と私の今までに不安は爆発寸前。なんとか気を落ち着かせようと本を読む。
食事前に看護婦さんが様子を見に来てくれる。そのときについに我慢の糸が切れて涙があふれ、大泣きしてしまう。なぐさめてもらえばもらうほど、全部うそに聞こえ、涙は止まらない。一人にしてもらっても後から後から不安が押し寄せ、涙があふれてくる。食事も取れない。いつもどおり坊主がきて元気をもらうが、やっぱりこわい。一人ではいられない。脱走しようかと本気で考える。ないている私の顔を坊主が不思議そうに見つめる。でも、やっぱり一人になると不安。今夜は隣のベットにも誰もいないので本当に一人だ。さみしい。大丈夫、何ともなかったよといわれるかもしれないと自分を励ます。
でも…とどうしても悪いほうへ悪いほうへと考えがめぐる。こわい。こわい。一人でいたくない。本当に脱走しようかとまた考える。でもそんな勇気があれば怖くないはずだ。考えたって仕方がない。とにかく明日きちんと結果を聞くまで一人でがんばらなきゃ。
2001年10月10日
10/10
抜糸も終わり、体もかなり元通り。しかし、運動不足の毎日なので体操したり、1階まで降りてみたりと運動してみた。早くても帰れるのは週末らしい。あ〜早く帰りたい。
2001年10月09日
10/9
朝から先生が来るのが待ち遠しい。そういうときに限ってぜんぜんこない。
連休明けで混んでいるんだろうな。私がここへ紹介状を持ってはじめてきたのも連休明け。それもつい2週間前のこと。ホント急変だったなぁと振り返る。
結局3時過ぎに抜糸、シャワーの許可も出てさっぱり。夕方、いつものように坊主がきて帰り際に冷凍してある母乳をもらいにナースステーションに行くと担当の先生が。気づいた先生は出てきてくれて、「そっくりだなぁ」って。「もうちょっとだからね。」と坊主に言ってくれた。本当にあとちょっとで帰れますように。
2001年10月08日
10/8
体育の日。なんか10日じゃないのは変な感じ。さすがに義母も疲れているらしく、今日は車の中で寝ているとのこと。
久しぶりに家族3人、水入らずで過ごす。ちょっとうれしい。
け。も写っている写真を持ってきてもらう。明日は抜糸だし、今日は寂しいのはちょっと我慢できるかな?
2001年10月07日
10/7
今日は日曜。坊主と長くいられると思っていたのになかなかこない。待ちきれずに電話をするとうぃんとオンちゃんの交配をするので夕方になりそうだとのこと。ものすごく楽しみにしていたので怒って電話を切ってしまう。
でもわがまま聞いてくれて2時半ごろにつれてきてくれた。すごく嬉しい。ぢつは毎晩写真を見ては涙していたのでほんとに嬉しかった。
今日は2回授乳ができ、2回ともそのまま私の腕の中で寝てしまいました。坊主と離れているのはもちろんとても寂しいけれど、け。とも離れているのもすごく寂しいので夕方ちょっぴり甘えちゃいました。け。は「早く帰ってきてほしいけど、ちゃんと治してからでないと家には坊主だけでなくうぃんぷよもいるんだから」と諭されちゃいました。「また無理されて、倒れられたらもっとも困るんだからちゃんと治してから帰ってこい」って。ごもっともです。
でも、寂しすぎるとウサギが死んじゃうように私だって寂しすぎると治るものも治らないんだから。ほんとに早く帰りたいです。
2001年10月06日
10/6
今日は洗髪をしてもらう。すっきり、さっぱりいい感じ。朝、け。が来る。昨日のことを話し、かなり泣けてしまった。
でも彼の言う通り考えてばかりいたって仕方がない。早く治して帰りたい。もし、悪性との結果が出ても坊主のためにまだまだ生きなくてはいけないのだから。
2001年10月05日
10/5
いろいろつながれていたのもはずされたので昨夜は快眠。五分粥のご飯じゃ足りない!(笑)
夕方、入院してすぐにやるはずのカウンセリングを受ける。病巣の写真があったので見せてもらう。かなりグロい。
すでにつぶれたあとの写真だったけど、中身の詰まっているときはどんなに大きかったことだろう。
カルテにはっきりと「悪性の疑い」と書いてあった。ものすごく不安になる。病理の結果が気になって気になって眠れない。
坊主とも離れて寂しいし、不安だし、涙が止まらない。早く帰りたい。夜が怖い。寝よう寝ようとすればするほど目がさえる。暗い夜が終わって早く朝が来ればいいのに。
2001年10月04日
10/4
午前中にけ。が来てくれる。でも、坊主は義母に預けっぱなしなので会えなかった。こういうとき、実母が生きていればよかったのにと思う。人見知りで義母に慣れていなかった坊主は大丈夫だろうか? 毎日いっしょだったのにあえないととてもつらい。
朝食後にはバルーンもはずし、トイレへ自力歩行。昼食時には部屋からでて、お茶をとりに歩く。早く帰りたいのでがんばってリハビリ。
2001年10月03日
10/3
ものすごく乳が張る。術後で動けないので搾乳してもらうけど、熱を持ってかなり痛い。でも、先生から授乳の許可が出た。よかった。昨日は、ミルクは受け付けず、泣きどおしだったらしい。かなり心配。でも明日からは搾乳分を持って帰ってもらうことにした。
病巣はグレープフルーツくらいとかなり大きくなっていた。普通ならここまで大きいと動かないはずなのに半時計回りに二回転(720°)も茎捻転していた。二月に出産したときにチョコレート嚢種が疑われたので帝王切開になり、そのときに見てもらった異常はなかったはずなので、短期間でのかなりの成長。だから詳しく病理検査をするということ。このときはガンかもと疑いつつも、そうでないだろうという思いのほうが強かった。
面会時間も終わるころ、坊主が来る。やはりミルクは飲まないようでヨーグルトなどを混ぜ、だましだまし飲ませているらしい。三日ぶりの授乳ではジュージューと音を立ててごくごく飲む。他人に搾ってもらうより楽だし、すっきりする
2001年10月02日
10/2 緊急手術
午後一番に手術。手術前の注射で寝てしまい、気がついたときには手術台の上、でもすぐ麻酔で気を失い、その次はすでに病室でいろいろチューブでつながれていた。目覚めたときにけ。がいてくれなかったのがちょっと寂しかった。
2001年10月01日
10/1 緊急入院
午後7時、坊主に離乳食をやっているうちに下腹部がチクチク痛んでくる。そのうち、痛みが強くなってきたけど我慢して添い寝で授乳。坊主も寝たころ、け。が帰ってきてくれて夕飯を作ってくれた。せっかくなので食べようとすると、治まってきた痛みが復活。ものすごい痛みが襲ってきて、まるで太い槍を腰から下腹部に 貫通させられているよう。
吐き気も襲ってきたのでもうだめと思って病院へ電話してもらい、救急車を待つ余裕などないのでそのまま大雨の中、来たばかりの新車で突っ走る。
過換気症候群も手伝ってかなりフラフラ。何度も気を失いそうになる。何とか診察してもらい、翌日すぐに手術と決まる。
夜中も痛みで何度も何度も目が覚め、注射をしてもらう。こんな最中でも廊下で叫び泣く坊主のことが気になって仕方がない。
もうろうとする意識の中で看護婦さんに母乳のみで育ててきたので飲まないかもしれないけどミルクを作ってあげてほしいととにかく頼む。
病状
病状
右卵巣腫瘍 ステージはIc期
2001. 9.23 | 朝、下腹部痛で目覚める。その日に出産した婦人科で受診。 即、紹介状を書かれ転院。 |
2001. 9.25 | 大学病院にて受診。卵巣チョコレート嚢種の疑いありと診断。16日にMR予約。 |
2001.10.1 | 茎捻転による激しい痛みで緊急入院、翌日右卵巣摘出手術(うち10.12〜10.15の3泊4日は外泊) |
2001.10.12〜10.25 | 病理検査の結果、悪性と診断され、術後引き続き化学療法開始。 |
2001.11.20〜11.29 | 化学療法2回目のため入院 |
2001.12.17〜12.25 | 化学療法3回目のため入院(うち12.23〜12.25の2泊3日は外泊) |
治療方法
タキソール270mg(初回のみ、あと2回は260mg)
カルボプラチン550mgを静脈投与1日
(現在1クール(3回)終了、検査待ち)
副作用
脱毛、吐き気、関節痛、口内炎、白血球の低下等 毎回ちょっとずつ違いました。
これに対して処方された薬
ロキソニン(痛み止め)、ツムラシャクヤクカンゾウトウ(関節痛)、マーズレン(胃薬)、
ゾフラン(吐き気止め)、ベナ錠(アレルギー止め)、ボルタレン(痛み止め) 以上、飲み薬
カイトリル(吐き気止め) 静脈投与
何でこのカテゴリを作ったかというと
私は2001年10月に右卵巣腫瘍を摘出しています。IC期でした。
卵巣のガンって見つかったときにはもう手遅れということも多く、体験談が少ないからなのでしょう。結構この記事関係は今でも訪問者が多いです。なのでblogにしても残しておけば、検索に引っかかりやすくもなるので、同じ病の人に役に立つかなと思って作りました。
基本的に更新はないです。過去の記事を一気に移すだけとなると思います。
ちなみに現在、術後3年を経過していますが、再発の気配はありません。
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