入院日記1-1
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10/1 緊急入院

午後7時、坊主に離乳食をやっているうちに下腹部がチクチク痛んでくる。そのうち、痛みが強くなってきたけど我慢して添い寝で授乳。坊主も寝たころ、け。が帰ってきてくれて夕飯を作ってくれた。せっかくなので食べようとすると、治まってきた痛みが復活。ものすごい痛みが襲ってきて、まるで太い槍を腰から下腹部に 貫通させられているよう。
吐き気も襲ってきたのでもうだめと思って病院へ電話してもらい、救急車を待つ余裕などないのでそのまま大雨の中、来たばかりの新車で突っ走る。
過換気症候群も手伝ってかなりフラフラ。何度も気を失いそうになる。何とか診察してもらい、翌日すぐに手術と決まる。
夜中も痛みで何度も何度も目が覚め、注射をしてもらう。こんな最中でも廊下で叫び泣く坊主のことが気になって仕方がない。
もうろうとする意識の中で看護婦さんに母乳のみで育ててきたので飲まないかもしれないけどミルクを作ってあげてほしいととにかく頼む。

10/2 緊急手術

午後一番に手術。手術前の注射で寝てしまい、気がついたときには手術台の上、でもすぐ麻酔で気を失い、その次はすでに病室で
いろいろチューブでつながれていた。目覚めたときにけ。がいてくれなかったのがちょっと寂しかった。

10/3

ものすごく乳が張る。術後で動けないので搾乳してもらうけど、熱を持ってかなり痛い。でも、先生から授乳の許可が出た。
よかった。昨日は、ミルクは受け付けず、泣きどおしだったらしい。かなり心配。でも明日からは搾乳分を持って帰ってもらうことにした。

病巣はグレープフルーツくらいとかなり大きくなっていた。普通ならここまで大きいと動かないはずなのに半時計回りに二回転(720°)も茎捻転していた。二月に出産したときにチョコレート嚢種が疑われたので帝王切開になり、そのときに見てもらった異常はなかったはずなので、短期間でのかなりの成長。だから詳しく病理検査をするということ。このときはガンかもと疑いつつも、そうでないだろうという思いのほうが強かった。

面会時間も終わるころ、坊主が来る。やはりミルクは飲まないようでヨーグルトなどを混ぜ、だましだまし飲ませているらしい。
三日ぶりの授乳ではジュージューと音を立ててごくごく飲む。他人に搾ってもらうより楽だし、すっきりする。

10/4

午前中にけ。が来てくれる。でも、坊主は義母に預けっぱなしなので会えなかった。こういうとき、実母が生きていればよかったのにと思う。人見知りで義母に慣れていなかった坊主は大丈夫だろうか? 毎日いっしょだったのにあえないととてもつらい。
朝食後にはバルーンもはずし、トイレへ自力歩行。昼食時には部屋からでて、お茶をとりに歩く。早く帰りたいのでがんばってリハビリ。

10/5

いろいろつながれていたのもはずされたので昨夜は快眠。五分粥のご飯じゃ足りない!(笑)
夕方、入院してすぐにやるはずのカウンセリングを受ける。病巣の写真があったので見せてもらう。かなりグロい。
すでにつぶれたあとの写真だったけど、中身の詰まっているときはどんなに大きかったことだろう。
カルテにはっきりと「悪性の疑い」と書いてあった。ものすごく不安になる。病理の結果が気になって気になって眠れない。
坊主とも離れて寂しいし、不安だし、涙が止まらない。早く帰りたい。夜が怖い。寝よう寝ようとすればするほど目がさえる。暗い夜が終わって早く朝が来ればいいのに。

10/6

今日は洗髪をしてもらう。すっきり、さっぱりいい感じ。朝、け。が来る。昨日のことを話し、かなり泣けてしまった。
でも彼の言う通り考えてばかりいたって仕方がない。早く治して帰りたい。もし、悪性との結果が出ても坊主のためにまだまだ生きなくてはいけないのだから。

10/7

今日は日曜。坊主と長くいられると思っていたのになかなかこない。待ちきれずに電話をするとうぃんとオンちゃんの交配をするので夕方になりそうだとのこと。ものすごく楽しみにしていたので怒って電話を切ってしまう。
でもわがまま聞いてくれて2時半ごろにつれてきてくれた。すごく嬉しい。ぢつは毎晩写真を見ては涙していたのでほんとに嬉しかった。
今日は2回授乳ができ、2回ともそのまま私の腕の中で寝てしまいました。坊主と離れているのはもちろんとても寂しいけれど、け。とも離れているのもすごく寂しいので夕方ちょっぴり甘えちゃいました。け。は「早く帰ってきてほしいけど、ちゃんと治してからでないと家には坊主だけでなくうぃんぷよもいるんだから」と諭されちゃいました。「また無理されて、倒れられたらもっとも困るんだからちゃんと治してから帰ってこい」って。ごもっともです。
でも、寂しすぎるとウサギが死んじゃうように私だって寂しすぎると治るものも治らないんだから。ほんとに早く帰りたいです。

10/8

体育の日。なんか10日じゃないのは変な感じ。さすがに義母も疲れているらしく、今日は車の中で寝ているとのこと。
久しぶりに家族3人、水入らずで過ごす。ちょっとうれしい。
け。も写っている写真を持ってきてもらう。明日は抜糸だし、今日は寂しいのはちょっと我慢できるかな?

10/9

朝から先生が来るのが待ち遠しい。そういうときに限ってぜんぜんこない。
連休明けで混んでいるんだろうな。私がここへ紹介状を持ってはじめてきたのも連休明け。それもつい2週間前のこと。ホント急変だったなぁと振り返る。
結局3時過ぎに抜糸、シャワーの許可も出てさっぱり。夕方、いつものように坊主がきて帰り際に冷凍してある母乳をもらいにナースステーションに行くと担当の先生が。気づいた先生は出てきてくれて、「そっくりだなぁ」って。「もうちょっとだからね。」と坊主に言ってくれた。本当にあとちょっとで帰れますように。

10/10

抜糸も終わり、体もかなり元通り。しかし、運動不足の毎日なので体操したり、1階まで降りてみたりと運動してみた。早くても帰れるのは週末らしい。あ〜早く帰りたい。

10/11

明日で術後10日。お隣も今日で退院だし、私も期待いっぱい。しかし、うまくことは運ばなかった。
夕方先生がきて、明日検査結果が出るからご主人にきてもらって…と。それって…と私の今までに不安は爆発寸前。なんとか気を落ち着かせようと本を読む。
食事前に看護婦さんが様子を見に来てくれる。そのときについに我慢の糸が切れて涙があふれ、大泣きしてしまう。なぐさめてもらえばもらうほど、全部うそに聞こえ、涙は止まらない。一人にしてもらっても後から後から不安が押し寄せ、涙があふれてくる。食事も取れない。いつもどおり坊主がきて元気をもらうが、やっぱりこわい。一人ではいられない。脱走しようかと本気で考える。ないている私の顔を坊主が不思議そうに見つめる。でも、やっぱり一人になると不安。今夜は隣のベットにも誰もいないので本当に一人だ。さみしい。大丈夫、何ともなかったよといわれるかもしれないと自分を励ます。
でも…とどうしても悪いほうへ悪いほうへと考えがめぐる。こわい。こわい。一人でいたくない。本当に脱走しようかとまた考える。でもそんな勇気があれば怖くないはずだ。考えたって仕方がない。とにかく明日きちんと結果を聞くまで一人でがんばらなきゃ。

10/12 運命の日

一日中どきどきしっぱなしで、今にも心臓が口から飛び出してきそう。結果、予想通り悪性。
わかっていたはずなのに、覚悟していたはずだけどつらすぎる結果。精神的にぼろぼろなので、とりあえず外泊許可をもらい一時帰宅。なんで?どうして?私は死ぬの?そんなことばかりが頭を巡る。
がんばるしかないとわかっていても怖い、怖くて仕方がない。あとからあとから涙があふれてくる。
母が死んだときのことを思い出す。母も私と同じようにつらかったに違いない。誰か助けて、怖い。怖いよぉ。

※私の母は乳ガンが2年後に再発し肺に転移、平成9年10月31日にこの世を去っています。

 

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